
九代吉右衞門(容所)
東濱植林の起源
明治の中ごろ九代濱口吉右衞門(容所)が政界、財界で活躍するなか、
植林事業が国家百年の計に大切なことを説いて、自ら郷里の和歌山県を中心に
山林経営に努めた事が始まりです。
その後、九州でも山林経営を始め、今では和歌山と九州合わせて約1,450haの
山林を所有しています。
これらを「東濱の森」として、代々大切に育てています。
<濱口吉右衞門家と東濱植林>
年代 | 幼名 (雅号) |
紀州・和歌山 | 江戸・東京 |
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江戸初期 | 初代 忠豊 |
広・西の浜に邸宅建造 | |
1673~1680年 (延宝年間) |
房総に進出 醤油造りをはじめる |
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1707年 (宝永4年) |
宝永大地震・津波 西の浜の邸宅流失 広の仲町に本宅建造 |
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1716年 (享保元年) |
三代 正勝 |
江戸小網町に「廣屋」を開店 | |
1814年頃 (文化11年) |
六代 矩美 |
広の仲町に本座敷建増 | |
1852年 (嘉永5年) |
七代 茂助 (東江) |
郷土の子弟に文武両道を勉強させるために、西濱口家などと共に、私立耐久社を創立 | |
1854年 (安政元年) |
津波被害により広村は壊滅的な状態となる 西濱口家と共に海岸に大防波堤を築く(広村堤防) |
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1855年 (安政2年) |
勝海舟 来宅 | ||
1896年 (明治29年) |
九代 貞之助 (容所) |
衆議院議員に当選 植林事業が、国家百年の計に大切なことを説いて、 自ら和歌山で植林事業をはじめる |
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1909年 (明治42年) |
広の仲町に三階建座敷を建増 | ||
1912年 (明治45年) |
犬養毅氏 来宅 | ||
1922年 (大正11年) |
十代 乾太郎 (無悶) |
東濱植林株式会社を設立 | |
1928年 (昭和3年) |
株式会社廣屋商店発足 | ||
1966年 (昭和41年) |
十一代 久常 (東山) |
九州で植林事業をはじめる | |
1974年 (昭和49年) |
十二代 勝久 (東畝) |
東濱植林(株)社長就任 ㈱廣屋社長就任 |
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1987年 (昭和62年) |
ヒゲタ醤油㈱社長を兼任 | ||
1992年 (平成4年) |
農事勲章シュバリエ章 (フランス政府) |
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1995年 (平成7年) |
藍綬褒章 | ||
2004年 (平成16年) |
名誉ソムリエ | ||
2005年 (平成17年) |
廣屋国分(株)副会長就任 | ||
2010年 (平成22年) |
東濱口家住宅が県指定文化財に登録 5種の大古木を巨樹登録 広川町の山林がオフセット・クレジット(J-VER)制度に登録承認される |
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2013年 (平成25年) |
首都圏国分(株)相談役 | ||
2014年 (平成26年) |
東濱口家住宅が国の重要文化財に指定 |
※濱口吉右衞門家を東濱口家、濱口儀兵衛家を西濱口家と称します。